沖縄の海と髪の健康を考えるヘアーサロン オーパス21

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2005年の夏休みは8月22日から26日まで。
我が家では毎年恒例になっている沖縄の旅をまとめた第3章。
25日からの沖縄旅行記。

8月25日~8月26日とおまけの一日…

2005年8月25日

 

昨夜寝たのは午前3時。起床は午前7時…

ハハハ…

眠たい…

起き抜けにちょっと散歩。
今日は空が抜けるような青い空、暑くなりそうです。
部屋に戻り、朝食用のタマゴ焼きを作り始める。今朝の私の仕事は、このタマゴ焼き作りが半分の時間を占めていました。何せ人数が多いもので。

眠いけれど食欲だけはあるワタシ。ガツガツと朝食をとる。
寝不足でも食事は美味い、体調が良い証拠だ。
例年ならこのホテルのプールで夕方まで過ごすのだが、今日は趣向を変えて、恩納村の村営ビーチに向かうことにする。

一度帰宅してから一服したあと、強い日差しを避けるように午後2時すぎに出発。

このビーチはおすすめです。何よりロケーションが良い。
左に万座毛につながる海岸、右には万座ビーチホテルが見えて、村営ビーチなのに、ホテルのプライベートビーチにいる気分になれます。

駐車料金も、ビーチの利用料もいらないし、防護ネットも設置してあるので、子供連れでも安心して遊べます。

子供たちは、砂で遊んだり、魚や貝を捕ったりして遊んでいる。
私も海に入る。今回の沖縄で初めて泳いだことになる。夏の沖縄に来て、もったいない話だと思うのですが、今年海に入ったのはこの1回だけでした。

 

6時過ぎまで遊んで夕暮れになり 、この恩納村の村営ビーチから西にある万座毛の方角にきれいな夕陽が落ちていく。この機会を逃すまいと、急いでビーチをあとにして、万座毛に向かう。 このビーチからは海に落ちていく太陽は、万座毛に隠れてしまうのです。

車で数分。万座毛の駐車場に到着。
小走りで万座毛に行くと、夕陽が海に落ちていくところ。ところが、あいにく雲があり、太陽が海に沈む光景は見ることができませんでした。けれど、一日の締めくくりには申し分のない時間でした。
何より、家族や兄弟が集まって、こんな時間を過ごせるのが一番の幸せです。
帰り際、自動販売機で2本続けてアイスを食べている子供たち。これも幸せそうであります。

 

明日は、もう帰阪する日。
帰宅準備にバッグに荷物を詰めていると、0時近くになっていた。

台風の状況が気になるけれど、なるようにしかならない。
明日は明日の風が吹く。。。


 

   

8月26日

 

 

 

 

 

 

7時ごろに起床。
テレビを見ると、ちょうど台風情報をやっている。
どうやら関東方面に向かったようで、大阪には影響がなさそうである。

でも、今日搭乗する「JAL2088便」はずっと那覇にいるわけではない。

どこかの空港から飛んできて、その飛行機に乗って伊丹空港に向かうのだから、もし、台風の影響が出ている関東方面からの飛行機であれば、最悪の場合今日は帰れなくなってしまう。

それで。JALに電話しました、その結果。
2088
便は変更なく運行予定とのこと。
一安心して、今日の行動について考える。

その結果、奥さんたちはジャスコに行きたいとのことだったので、那覇のジャスコに。国際通りに行きたいワタシたち男組とは別行動をとることにする。

那覇まで車で移動。女性たちとジャスコで別れ、ワタシと義父と甥っ子の3人でゆいレールに乗り、国際通りに行く。

牧志公設市場で、23日に買ったお店で「海ぶどう」を購入。
この海ぶどうは、冷蔵庫に入れないで保存するらしい。従って、生ものなのにそのままの状態で持って帰れるのだ。

その後、やちむん通りを少しのぞいてから、国際通りに戻り、モノレールの県庁前駅まで歩くことにする。

それにしても暑い。日差しも強いし風も無い。

義父は、途中で足の痛みが出たので、途中でタクシーに乗りジャスコに戻ることに。

ワタシと甥っ子はテクテクと県庁前まで歩く。
昨年来たときに面白かった焼き物の店を探すのだが、記憶があいまいでとうとう探しだせなかった。
琉球焼きのビアグラスが欲しかったのだが見つけられなかった。また来年の楽しみにとっておこう。

   
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ジャスコに戻ってみんなと合流したあと、空港に向かう。
午後5時すぎ空港に到着。飛行機の出発時間は午後6時。
あと1時間足らずで沖縄にサヨウナラをしなければならない。

予約していたチケットを奥さんとカウンターにとりに行くことに。
カウンターのある3階へのエスカレーターを上がっていくと、団体カウンターの前に「たっっっくさんの人」が並んでいる。

ワタシは個人旅行なので、その横にあるカウンターに向かった。

ここから今回の沖縄帰省で最大のハプニングがあったのです。

 

発券カウンターに着いたワタシと奥さん。
ワタシ 2088便を予約しています。予約番号は×××です。」
JALの人 「 かしこまりました。」

(カチャカチャカチャ)パソコンに必要事項を入力している。
やがて4枚のチケットが機械から出てきた。
チケットをワタシに手渡しながらJALのお姉さん がごくフツーに言った。

JALの人 「本日の2088便は欠航になっております。」
ワタシと奥さん 「んっ?」
ワタシと奥さん 「な、何て?」(本当に驚いたらこんなマンガのような言い方をするのを知りました)

もちろん理由を聞きました。
けれど、その理由について、私は勘違いをしていました。
なぜなら、台風の一件があったからです。

欠航の理由として、本来であれば、今日ワタシたち家族が乗ることになっていた2088便というのは、名古屋から 那覇に飛んできた飛行機が、伊丹に行く段取りになっていたらしいのです。ところが、名古屋からその便が飛んでこなかったため、今日は欠航になってしまった。ということらしい。
飛んでこなかった本当の理由を聞かずに、ワタシは台風の影響だと思い込んだのです。

JALの人 「本日は大阪行きの便はもうありません。臨時便としまして、明日午前630分に大阪行きの便を用意しておりますので、搭乗されるなら11番のカウンターで手続きをしてください。」
その臨時便には必ず乗れるらしい。

それにしても困った…
630分の便に乗っても明日9時からの営業は絶対に無理だ。

とにかく、問題はこれからどうするかだ。
そのことを相談するため、見送りにきてくれていた両親たちのところに行く。
2階へ降りるエスカレーターに乗りながら、

ワタシ 「そういえば、さっき宿泊費として一人15千円出すって言ってたな」
奥さん 「違うよ12千円て言ってたよ」
夫婦でこんなやりとりをしていました。

結局。
妹が明日の早朝空港まで送ってくれると言ってくれましたが、ワタシたちのせいで疲れているのにそこまで甘えることはできない。実家から空港までは、順調にいっても1時間はかかる。

明日の見送りがないのは寂しいが、レンタカーを借りて明日はワタシたち家族だけで空港に行くことに。見送りにきてくれた兄が手配してくれたレンタカーの手配を奥さんにたのみ、ワタシは明日の臨時便の予約をするため再び3階へのエスカレーターに乗る。

3階に上がってから気づかされた。
さきほど目にした「たっっっくさんの人」は、2088便に搭乗するはずの人たちだったのだ。
機材がジャンボだったため、搭乗人数が多い。当然手続きにも時間を要する。

結果的に1時間ほど並んで手続きを終えた。
でもその1時間の間に、欠航の本当の意味が分かってきたのです。

前後の人たちが家族や会社に電話している声や、JALに対する話を聞いていて判明しました。

欠航の本当の理由。
それは、飛行機の故障だったのです。
やってくれたか日本航空。

このところトラブル続きだったので、予定を立てるときにANAにしようかJALにしようか迷ったのだが、行きも帰りもJALのほうが都合がよかったので予約したのだが、不安が的中してしまったことになる。

名古屋から飛んでくるはずの便が、故障のため飛べなかったらしいのです。台風の影響ではなかった。だから宿泊代をJALが持つのである。

明日の予約を済ませ、予定外にあと1泊することになった実家へ帰る。
ところが、空港を出た7時すぎは、那覇近辺はとんでもない渋滞になるのです。
いつもの倍の2時間をかけて帰宅。今夜はJALから出た宿泊代で、居酒屋に行き小宴会。

賑やかな店内で2時間ほど飲み食いを…
宴会のあと、帰宅して時計を見ると11時前。
明日の朝は午前4時には起きないといけない。

今すぐ寝ても睡眠時間は5時間…

 ハハハ…

   

 

2005年8月27日

   

 

 

 

 

早起きしないといけないとなると、なかなか寝付けないワタシ。
布団の中でウダウダとしているうちに、時間はあっというまに4時。

カラダがダルイ。

起きて、リビングに行くと、ワタシより早起きしてくれた母と奥さんが、すでに朝食を作ってくれている。ありがたいことです。

食事をしているときに父も起きてきて、続いて、今日仕事の弟・妹・甥っ子・姪っ子も起きてきました。
ゴメンねぇ。こんな早くに…

 やがて5時。

家を出る時間がやってきた。みんなに別れを言いながら出発。こんな帰阪のしかたは初めてです。
なんだか変な気分。というか、やっぱり寂しい別れ方です。

 

まだ暗い中、高速に乗り空港へ。

那覇が近づいてくるころ、ようやく空が明るくなってきました。時間が早いだけに、一般道に下りても渋滞もなく、1時間ほどで空港に到着  するはずが、レンタカーにガソリンを入れるべく、昨夜レンタカー会社に聞いた(早朝から営業していると聞いた)ガソリンスタンドに行くが閉まっている…

仕方なくそのまま空港に行き、車を乗り捨てて搭乗口に直行。買い物をするにも、お土産屋さんはまだ開いていないのだ。

630分、定刻に飛行機が動き出し、812分に伊丹空港に到着。

たぶん、ワタシが乗った大阪↔沖縄間では最短での到着です。

ところで、朝の便になってよかったこともある。

空からの景色が楽しめたこと。今回は、JALのサービスの一つで「クラスJ」というシートにしたのが幸いして、席がガラガラだったのです。(エコノミーはそれなりに混んでいました)
ということで、空いている窓際の席に行って空からの景色を楽しみました。

 

その後は、バスと電車を利用して大急ぎで帰宅。
2時間遅れの11時より店を開けました。
おかげさまで、開店を待っていてくれた方にたくさん来店していただきました。
お待ちになった方、すいませんでした。

最後に、沖縄でお世話になった方々すべてに感謝です。
毎年お騒がせしましてすいませんが、来年も、その次もずっとよろしくお願いします。

   

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