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2005年の夏休みは8月22日から26日まで。 8月25日~8月26日とおまけの一日… |
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2005年8月25日 |
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昨夜寝たのは午前3時。起床は午前7時… ハハハ… 眠たい…
起き抜けにちょっと散歩。
眠いけれど食欲だけはあるワタシ。ガツガツと朝食をとる。 一度帰宅してから一服したあと、強い日差しを避けるように午後2時すぎに出発。
このビーチはおすすめです。何よりロケーションが良い。 駐車料金も、ビーチの利用料もいらないし、防護ネットも設置してあるので、子供連れでも安心して遊べます。
子供たちは、砂で遊んだり、魚や貝を捕ったりして遊んでいる。
6時過ぎまで遊んで夕暮れになり 、この恩納村の村営ビーチから西にある万座毛の方角にきれいな夕陽が落ちていく。この機会を逃すまいと、急いでビーチをあとにして、万座毛に向かう。 このビーチからは海に落ちていく太陽は、万座毛に隠れてしまうのです。
車で数分。万座毛の駐車場に到着。
明日は、もう帰阪する日。
台風の状況が気になるけれど、なるようにしかならない。 |
8月26日 |
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7時ごろに起床。 でも、今日搭乗する「JAL2088便」はずっと那覇にいるわけではない。 どこかの空港から飛んできて、その飛行機に乗って伊丹空港に向かうのだから、もし、台風の影響が出ている関東方面からの飛行機であれば、最悪の場合今日は帰れなくなってしまう。
それで。JALに電話しました、その結果。 その結果、奥さんたちはジャスコに行きたいとのことだったので、那覇のジャスコに。国際通りに行きたいワタシたち男組とは別行動をとることにする。 那覇まで車で移動。女性たちとジャスコで別れ、ワタシと義父と甥っ子の3人でゆいレールに乗り、国際通りに行く。
牧志公設市場で、23日に買ったお店で「海ぶどう」を購入。 その後、やちむん通りを少しのぞいてから、国際通りに戻り、モノレールの県庁前駅まで歩くことにする。 それにしても暑い。日差しも強いし風も無い。 義父は、途中で足の痛みが出たので、途中でタクシーに乗りジャスコに戻ることに。
ワタシと甥っ子はテクテクと県庁前まで歩く。 |
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ジャスコに戻ってみんなと合流したあと、空港に向かう。
予約していたチケットを奥さんとカウンターにとりに行くことに。 ワタシは個人旅行なので、その横にあるカウンターに向かった。 ここから今回の沖縄帰省で最大のハプニングがあったのです。
発券カウンターに着いたワタシと奥さん。
(カチャカチャカチャ)パソコンに必要事項を入力している。
JALの人
「本日の2088便は欠航になっております。」
もちろん理由を聞きました。
欠航の理由として、本来であれば、今日ワタシたち家族が乗ることになっていた2088便というのは、名古屋から
那覇に飛んできた飛行機が、伊丹に行く段取りになっていたらしいのです。ところが、名古屋からその便が飛んでこなかったため、今日は欠航になってしまった。ということらしい。
JALの人
「本日は大阪行きの便はもうありません。臨時便としまして、明日午前6時30分に大阪行きの便を用意しておりますので、搭乗されるなら11番のカウンターで手続きをしてください。」
それにしても困った…
とにかく、問題はこれからどうするかだ。
ワタシ 「そういえば、さっき宿泊費として一人1万5千円出すって言ってたな」
結局。 明日の見送りがないのは寂しいが、レンタカーを借りて明日はワタシたち家族だけで空港に行くことに。見送りにきてくれた兄が手配してくれたレンタカーの手配を奥さんにたのみ、ワタシは明日の臨時便の予約をするため再び3階へのエスカレーターに乗る。
3階に上がってから気づかされた。
結果的に1時間ほど並んで手続きを終えた。 前後の人たちが家族や会社に電話している声や、JALに対する話を聞いていて判明しました。
欠航の本当の理由。 このところトラブル続きだったので、予定を立てるときにANAにしようかJALにしようか迷ったのだが、行きも帰りもJALのほうが都合がよかったので予約したのだが、不安が的中してしまったことになる。 名古屋から飛んでくるはずの便が、故障のため飛べなかったらしいのです。台風の影響ではなかった。だから宿泊代をJALが持つのである。
明日の予約を済ませ、予定外にあと1泊することになった実家へ帰る。
賑やかな店内で2時間ほど飲み食いを… 今すぐ寝ても睡眠時間は5時間… ハハハ… |
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2005年8月27日 |
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早起きしないといけないとなると、なかなか寝付けないワタシ。 カラダがダルイ。 起きて、リビングに行くと、ワタシより早起きしてくれた母と奥さんが、すでに朝食を作ってくれている。ありがたいことです。
食事をしているときに父も起きてきて、続いて、今日仕事の弟・妹・甥っ子・姪っ子も起きてきました。 やがて5時。
家を出る時間がやってきた。みんなに別れを言いながら出発。こんな帰阪のしかたは初めてです。
まだ暗い中、高速に乗り空港へ。 那覇が近づいてくるころ、ようやく空が明るくなってきました。時間が早いだけに、一般道に下りても渋滞もなく、1時間ほどで空港に到着 するはずが、レンタカーにガソリンを入れるべく、昨夜レンタカー会社に聞いた(早朝から営業していると聞いた)ガソリンスタンドに行くが閉まっている… 仕方なくそのまま空港に行き、車を乗り捨てて搭乗口に直行。買い物をするにも、お土産屋さんはまだ開いていないのだ。 6時30分、定刻に飛行機が動き出し、8時12分に伊丹空港に到着。 たぶん、ワタシが乗った大阪↔沖縄間では最短での到着です。 ところで、朝の便になってよかったこともある。
空からの景色が楽しめたこと。今回は、JALのサービスの一つで「クラスJ」というシートにしたのが幸いして、席がガラガラだったのです。(エコノミーはそれなりに混んでいました)
その後は、バスと電車を利用して大急ぎで帰宅。
最後に、沖縄でお世話になった方々すべてに感謝です。 |
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